1972年にスェーデンのストックホルムにて初めて国際的な会議の場で、地球環境と共生に関しての議論が行われました。
日本では戦後27年がたち、列島改造論で国内の産業がより活気づきだした頃です。
化石燃料の枯渇問題をオイルショックという形でうっすらと感じながらも、戦後の復興からこちら国内の活気はとどまることなく、環境問題を軽視しながら発展をつづけていきます。
1992年リオで行われた地球サミットにおいて、アジェンダ21という行動計画が提示されました。これが今のSDGsに続く枠組みとなります。
日本でのバブル崩壊が1990年代初頭におきてからは、国民の意識は次第に使い捨てから再利用へと変化していくことになります。CO2削減という言葉が出てきたのもこのころのような気がします。
1997年京都において行われたサミットにおいて、京都議定書が成立しました。
これで具体的なCO2削減の目標を各国が認識することになりました。
日本はチーム-6%を立ち上げ、削減への取り組みをすすめました。
2015年、パリ協定において途上国を含むすべての参加国が参画することに批准し、温度上昇率の低下と、温室効果ガスの削減にあらたな目標を設定することになりました。
そして、同年ニューヨークでのサミットにおいてSDGsの採択がなされました。
これは、環境問題だけでなく世界中が抱える問題を17のテーマにわけ、各自が自分に可能なテーマに向けて努力していくというものです。
昨今では、放送局なども参画し、大々的なキャンペーンになりつつあります。
一時的に盛り上がるものではなく、地道に続けていくことが大切な取り組みとなっています。
コロナ禍になり日々の生活に、今までにない緊張が続いています。
その上さらに努力をすることに苦痛を感じる方もおられるかもしれません。
それでも、未来を次の世代につなぐことは、今を生きるものが努力するしかありません。
中島商事も出来ることから頑張っていきます。
ともに安心できる未来のため、来年も頑張っていきましょう。
松宮巧典
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